墨荘堂ブログ

西洋医学全般のセカンドオピニオンとして立脚する「和方鍼灸」を追求する関墨荘堂鍼灸治療院のブログです。
<< September 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
和法鍼灸 関 墨荘堂
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
平成版『鍼灸病証学』
かつて本間祥白が手がけていた仕事に、鍼灸病証学の構築がありました。この仕事は不完全なまま『鍼灸病証学』として上梓されるのですが、結局は絶版になってしまいます。この試みが完成していたなら、現在の東洋医学臨床論の教科書も変わっていた可能性があったのに、誠に残念なことです。

本間先生が『鍼灸病証学』の自序の中で述べているように、この構想のベースには『東医宝鑑』があります。そこで『東医宝鑑』と『鍼灸病証学』を比べてみると『東医宝鑑』にあり、『鍼灸病証学』にないものがわかり、それは次のとおりです。

身形、言語、五蔵六府、蟲、脈、毛髪、天地運気、審病、弁証、診脈、用薬、汗吐下、
咳嗽、嘔吐、積聚、腸満、瘟疫、邪崇、癰疽、諸瘡、諸傷、解毒、救急、怪疾、雑方(霍乱、浮腫、消渇、黄疸、痎瘧は雑方の中の小項目としてあり)湯液序列以下本草の部分と鍼灸(主に経絡、経穴)

この項目を見ても『東医宝鑑』が良く出来た本だとわかりますが、許浚が影響をうけたのは明の楼英の『医学綱目』だったと思います。それは『東医宝鑑』では各項目の最後に鍼灸法があり、『医学綱目』もそのような構成になっています。また、『東医宝鑑』の鍼灸法は『医学綱目』からの引用が多いことからも、その影響を判断することが出来ます。

かつて浦山先生が「『医学綱目』の鍼灸」という論文の中で、『医学綱目』の重要性を指摘しているのにも係わらず、鍼灸界はあまり反応していないようです。

『医学綱目』の最大の売りは各病証を五蔵六府に分類した究極の蔵府経絡弁証本であり、鍼灸法が項目の最後に書かれているため、鍼灸の病証学を考えた場合ベースにするにはもっとも適した本だと思います。

また外景だけなら日本にも『東医宝鑑』にも負けない『経脈図説』という本があります。江戸時代の本には利用価値の高い本がいっぱいありますね。


現在日本伝統医学の標準化作業が厚生労働科研費を取って進められていますが、東洋医学臨床論(平成版『鍼灸病証学』だと思います)が『医学綱目』を越えられるかどうかに非常に興味があります。

私も外野なので、勝手なことを書いていますが、担当されている先生のご苦労は察して余りあります。ぜひがんばって頂きたいです。
『JIN-仁-』に見る統合医療の形
 テレビドラマで見てからぜひ原作を読んでみたいと思っていたら、奇特な人が「先生、ぜひ読んでください」と17巻まで貸してくれました。

お話は脳外科医の南方仁が幕末にタイムスリップして、現代医学で当時の人たちを助けるというのが主筋ですが、今後の医療をどのように構築してゆくかという事の参考にもなる漫画です。

この未来から来た外科医南方仁が開いた仁友堂は、現代医学と漢方が共存した医院で、華岡流の若き医師佐分利祐輔が、通仙散を使った全身麻酔の技術で仁と共に外科を担当し、医学館の奥医師で、最初は多紀元琰に内情を伝えるスパイでもあったが福田玄孝が内科(漢方)を担当しています。

話の展開から江戸医学館の多紀家は悪者かなと思っていたら、途中から南方仁の非凡な才能(未来から来たのだから当然と言えば当然だが)を見抜いた元琰が仁に協力する展開になってきて、なかなか興味深いです。

台詞の中にも「漢方と現代医学を共存したほうがよい」という考え方がしばしば出てくるのですが、出来ることなら鍼灸師も登場させて、術後の回復を漢方と鍼灸で対応したり、はり麻酔で眼球を動かしながら手術したりするシーンがあったりすると、「神」レベルの漫画になったと思いますがいかがでしょう。

手塚治虫の「ブラックジャック」にも琵琶丸という鍼師が出てきますし、鍼灸師を加えるという設定は無理がある訳ではないと思うのですが。まあこれは医学監修をしている先生も鍼灸のことはあんまり知らないだろうし無理な相談かなぁ、とここまで書いて、よーく考えると、この漫画では主人公の外科医が未来から来た設定になっていますが、この状況は現代の日本で再現できるのではないかと気がつきました。

今の日本の西洋医学のレベルは世界でもトップクラスだし、もし伝統医療を取り入れて統合医療を作ったら、アメリカやヨーロッパより世界の先端をいけるだろうにと思ったのですが、実現しないのは厚労省の役人や医師達が考えているように、伝統医療のサイドの信頼性がないということにつきるのではないでしょうか?

僕が西洋医学(外科)の立場だったら、運動器疾患しか守備範囲にしていない鍼灸師とは組みたいとは思いませんからね。

いろいろな意味で考えさせられる漫画ですが、そろそろクライマックスが近づいているようです。未来をどうするのかということも気になりますが、統合医療をどうするのかという提案もある程度の形を示してもらえることを期待しています。

ちなみに医学館督事の多紀元琰は原作では「げんえん」と漢音読みしていますが、「もとてる」と読みます。

31回鍼灸祭 後記
鍼灸祭、無事に終了致しました。ご尽力頂いた皆様、お疲れさまでした。

鍼灸祭に先立って湯島聖堂の神農廟が公開されていたのですが、この神農廟も20年前に補修をしたきりで、手を入れてないそうです。

特に廟の前にある屋根の天井などは、作れる業者がもういないということでした。この天井は網代天井(あじろてんじょう)といって茶室などに用いられている、杉皮・竹・葦(あし)などを網代に編んで張り上げた天井のことです。(写真)
 
網代天井自体は施工している業者もあるようですが、土蔵様の廟本体も含めてという事なんでしょう。ちなみに網代天井は単価で7,000円/平米ぐらいはして、作るのも相当めんどくさいようです。作らなくなると技術もどんどん失われていくんでしょうね。

土屋先生の講演の「鍼灸に関する漢字」の話は他の先生も同じテーマで話していますが、さすがに興味深いお話でした。個人的にはいくつか解明したことがあったので、とても助かりました。

一の瀬先生の実技は、一の瀬ワールド全開で3人のモデルさんの主訴に、1〜2穴の触れない鍼と知熱灸で対処していました。ツボの構造の話や腎経の走行や重心線のお話はとても参考になりました。

あえて内容は書きませんが、こういう縁のものは自分で参加しないと得られないということなんでしょうか?縁を作ったのに、情報を受け取れない人もいたようですが。

懇親会のめずらしいお酒の話は誰か絶対にネット上に書いているはずですので、そちらでお楽しみください。(笑)

そしてこのまま終わるはずも無く、うまく歌えて1コーラス、下手だと即演奏終了という、とっても厳しいO先生のカラオケ虎の穴で、妙に盛り上がり終了となりました。

それにしてもY先生(母校の大先生)、歌うま過ぎです。
第31回鍼灸祭
  今年も5月第3日曜日の16日に湯島聖堂にて、第31回鍼灸祭が行われます。「鍼灸祭」は、東洋の学術文化の普及活動をする財団法人斯文会が主催し、秋の「神農祭」と並んで湯島聖堂の行事として実施されています。

もともとは昭和40年から20年間にわたって浅草の伝法院で行われていた「はり灸まつり」を、世話人代表だった故島田隆司先生らが平成12年より復活させたものです。 鍼灸祭は、流派や学派の相違を超えて鍼灸の各団体が協力し、鍼灸の発揚と、鍼灸を創生した先達への祭礼、鍼灸関係物故者の慰霊、鍼と艾への感謝をとり行い、同時に各学派・流派の学術講演などを行って、広く親睦を深めつつ鍼灸の啓蒙普及に努めることを目的とした会です。

当日は
13:00〜神田神社神官による祭礼
14;00頃〜特別講演2題(参加費500円
16:00頃〜懇親会(懇親会費3000円
という予定で、

今年の特別講演のうち漢学の方からは「世界一受けたい授業」の「国語」に出演された土屋秀宇先生の講演「漢字の面白さ再発見-医に係わる漢字の話」があります。

先生は第43回讀賣教育賞や白川静記念東洋文字文化賞を受賞され、『子供と声を出して読みたい 美しい日本の詩歌』(致知出版社)『学校では教えてくれない日本語の秘密』(芸文社)などの出版物でご存知の方も多いと思います。

鍼灸の方からは一の瀬宏先生による実技です。一の瀬先生は刺さない鍼(接触鍼)を臨床で使われている先生で、「主訴に向き合う手当の鍼(刺入しない鍼)」の実技供覧を予定しています。

式に先立ち12;00〜13:00まで、聖堂の奥にある神農廟を特別に拝観する事が出来ます。中に安置された神農像は徳川三代将軍家光の発願により製作されたすばらしい像です。神農廟の拝観は「神農祭」と「鍼灸祭」の時だけしか行われませんので、ぜひ今から予定を作ってでも拝観して頂きたいと思います。









最近は懇親会に出るレアな日本酒目当てに参加される方も多いようです。もちろん一般の方も参加できます。

4/13修正投稿
水野南北の食養法
この記事は新ブログに加筆修正いたしました。
鍼灸師向けの報道ならこの発表
6月の19日(金)〜21日(日)の日程で、日本東洋医学会の学術大会が行われました。この学術大会では当然鍼灸関係の発表も行われるのですが、業界の大手のサイトが何を報道するのかはとても興味がありました。

結論から言うと鍼灸師が知りたい情報はもっと違う事だと思います。特に古典に関する情報はほとんど出てこないので、概略をお知らせしようと思います。

なお、超省略版ですのでご理解ください。(笑)

まずは「新出の無分流伝書『救詳鑑』『針流書』について」発表者長野仁ほか

打鍼の開祖ムブンの実像を伝える新資料は『救詳鑑』『針流書』であり、両書によるとムブン(無分または無紛と表記)は伊勢の国小川に住んでいて、系譜は針得→陽名坊→今新となる。「下巻」が無分の流儀を伝える主要部分で、打鍼を腹部に限局して施すのは無分のオリジナルな手法ではなく、後代までに先鋭化された刺法らしい。また『合類針法奇貨』の刺法の大半は「下巻」の援用であった。

次は「杉山流『療治之大概』の原本となった『鍼灸大和文』」発表者大浦宏勝ほか

杉山和一著とされる療治之大概』は和一の師的伝授者の一人である砭寿軒圭庵篇『鍼灸大和文』を原本とする再編集書である。『杉山流三部書』のうち和一の著としているのは自身も弟子も言っているように『選鍼三要集』のみである。

詳しくは各先生方が発表する論文を待つか、東洋医学会の会員になるかしかありません。業界サイトの担当者はもう少し視点を変えた報道にご配慮いただければと思います。(大浦先生の発表内容については所属する研究会のサイトに詳細があるようです。)
杉山和一の伝説
杉山和一は盲人でありながら、徳川将軍家の侍医にもなった特筆するべき人物です。鍼灸師ならば和一のことは必ず知っているはずですが、それは打鍼術とならぶ日本独自の鍼法である管鍼術を創始したからであると教わるからです。

しかし最近の研究により管鍼術は杉山和一の発明ではなさそうだと言われています。他にも和一の作と伝えられる道歌や『杉山流三部書』の原典の問題なども在りますが、ここではそれらに触れずに、和一が江ノ島の弁天堂に籠って、管鍼法のヒントを得たと言われている伝説にスポットを当てようと思います。

まず学校等で教わる伝説はこうです。「和一は伊勢国(三重県津市)の藩士の家の長男でしたが、伝染病のため幼くして失明。弟に家督を譲り、単身で鍼の修行のため江戸へ出ます。しかし和一は不器用なうえ鈍間で物忘れがひどく、師匠のもとを破門されます。絶望の危機に立たされた和一は帰路の途中、江ノ島の弁財天の祠で7日間の断食祈願をします。祈願を終え山を降りる際、石につまづき転倒してしまうのですが、転んだ際に手元に落ちていたのが、竹の筒に入った松の葉でした。そしてこれをヒントに現在の管鍼法を生み出しました。」しかしこの伝説はどうも出所がはっきりしないのです。

戦前の和一に関する研究に小川春興氏の「杉山検校の史的研究」があるのですが、小川氏はこの中で江ノ島と検校の関係を示す最も重要な資料として寛政三年に編纂された『江島旧記』を挙げています。

そして「百日御心願被候て満る日、天女宮の御さずけに松葉針と申て、松の如き太き針にて御願い成就被遊と申由、申伝候。」を引用して、弁財天から授かったのは竹の筒に入った松の葉ではなく、松葉針であったことを強調しています。

また、江戸時代中期から後期にかけての勘定奉行、南町奉行であった根岸鎮衛(ねぎし やすもり)の書いた『耳袋(耳嚢)』(全巻で1000話の街談巷説奇聞の類を集めた随筆)にも杉山検校のことが書かれています。

杉山検校精心の事として

「杉山検校凡下の時、音曲の稽古しても、無器用にして事行うべしとも思われず、そのほか何にても、これをもって盲人の生業を送らん事なければ、深く歎きて三七日断食して、生涯の業を授け給えと丹誠を抽(ぬき)んで、江の島の弁天の宝前に籠りしが、何のしるしもなければ、しょせん死なんにはしかじと海中へ身を投げしに、打ち来る波にはるかの汀に打ち上げられしゆえ、さては命生きん事と悟りて、弁天へ返申(お礼参り)しける道にて、足に障る物あり。取上げみれば打鍼なり。しからばこの鍼治の業をなして名をなさんと心底を尽くしけるが、自然とその妙を得て今杉山流の鍼治と一派の祖なりしとかや。」とあり、

ここでも弁財天から授かったのは打鍼であった事になっています。

このような事実で杉山流による管鍼法の普及という業績が否定される訳ではないのですが、室町〜江戸初期に考案された打鍼法や管鍼法の背景にある鍼立達のドラマを考えるとなんだかわくわくしますよね。

参考文献
『杉山真伝流臨床指南』跋文(長野仁抜)
『本朝鍼灸医人伝』
『耳袋1』東洋文庫207
鍼灸用語決定に見る中国国際戦略の脅威
日本の鍼灸界は危機感なさすぎじゃないですか?

先日の刺絡学会学術大会の教育講演で、森ノ宮医療大学の山下仁教授は大事な提言をされていました。それは刺絡鍼法の英文表記は日本から「shiraku」と発信すべきという提言です。

中国は国策として中医学による国際標準化を進めていて、先頃話題になったツボの国際標準化作業は良く憶えておられると思います。

その後も用語の標準化で最初に中国が提示してきた案には日本独自の打鍼、散鍼、接触鍼はもちろんのこと九鍼すら含まれておらず、その後のISOで鍼の手技まで決めてしまおうというバイタリティーには脅威すら感じます。(さすがにこれは却下されたようですが)

そこで刺絡鍼法の場合、海外でよく使われる表記を見てみるとwet cupping(皮膚刺絡)やpricking bloodやblood letting(静脈刺絡)などでは刺絡鍼法の全てを表しているとは言いにくいと感じました。

細絡刺絡は日本独自のものですし、より経絡的な井穴刺絡などが含まれる用語が望ましい訳です。学会では以前からshiraku acupuncture(phlebotomy)という表記を使用してきました。phlebotomyは用語が浸透した時点で外そうと思っています。

本来は学会のHPでやるべきかとも思いましたが、まだリニューアル中のため先行してご意見を伺えたらうれしいです。皆さんは「shiraku」「shiraku acupuncture」どちらがお気に入りでしょうか?ご意見お待ちしております。
「未病治」という造語センス
「未病治」という言葉が既に単語として成り立っているのなら、以下の文章は妄想ですので気にしないでください。

 ただ長年漢文をかじってきたものにとっては、非常に違和感のある文字の並びであることをわかっていただきたい。もちろんこの話題は何人もの識者の先生が言っていることで、私のオリジナルではありません。

 普通「未病治」という並びは漢文では「未だ病を治せず」と読みます。これは「まだ病が治せない」という意味であり、この造語を使いたい人たちが意図する「未病(病気になる前のバランスが崩れはじめた状態のこと)を治す」とはどう考えても違うと思います。

 「未病を治す」と言う表記は「治未病」が正しいことになります。『素問』も「上工治未病、中工治已病」と表記してるじゃないですか。

ちなみにウチのATOK君は「みびょうち」と入力すると「治未病」と変換します。賢い!(笑)

でも漢方の偉い先生も使っていますから、このまま使われていくんでしょうね。
鍼立とは

鍼立と書いて「はりたて」と読みます。
室町時代後期位から江戸時代に鍼を業にしていた人たちのことです。
まぁ鍼灸師でいいんですけど。

この業界の先生達は妙なこだわりがあって「針」を「鍼」と書くのと一緒です。

面白いのはこの時代の人たちは鍼を「刺す」のではなく「立てる」と表現して
いることでしょうか。
刺し方の表現でも大陸と島国の違いが見えるようで興味深いです。

先日、学生さんに指導する機会があったのですが、どうも学生さんの打った鍼は
立ち姿が美しくないんですね。私も昔はそうだったと思うのであきらめずに続けて
もらいたいですね。20年もやっていればきれいに立てられるようになりますから。