墨荘堂ブログ

西洋医学全般のセカンドオピニオンとして立脚する「和方鍼灸」を追求する関墨荘堂鍼灸治療院のブログです。
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和法鍼灸 関 墨荘堂
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口伝の功罪

 口伝という言葉は古典を拠り所にして臨床している者には何とも魅惑的なものであるが、一生の間にそう何度も耳にする訳ではない。何しろ文字にしてはいけないもの(不立文字)を、対面した相手に伝えなければならないから、何百年かずっと伝えられてきたもの以外は、本物を聞く機会すらないと思われる。

 そのような本物でなくとも、時々資料の中から口伝らしきものが見つかることもある。ただし現状では、見つかっている資料の全てがテキスト化されている訳ではないので、ネットでパパッと検索して終わりという訳にも行かず、修行の如く地味な作業が必要となる。

 

 話は変わるが今、長野先生が国家プロジェクトの一環として、京大富士川文庫のデジタル・アーカイブス化を推進されているそうで、数年後には、オリエントで復刻済みの本も含め、かなりの古医書がオールカラーでダウン・ロードできるようになるそうである。

 

 さて、打鍼の本家であった意斎流の衰退は、本家に跡を継ぐ技量を持った子供がいなかった事が最も大きな理由だが、何かの拍子に後裔者がいなくなった場合に、口伝に頼っていると全てを失ってしまう事を示唆しているように思える。

 意斎流を正統に受け継ぐ、森家に生まれた中虚(1670〜1746、初代道和から数えて四代目)が奥田、山本、藤木など意斎の弟子筋に師家の口伝を尋ねても確認できなかったという記述(『意仲玄奥』)からも、そのことはうかがえるのではあるまいか。

 

 思うに正親町・後陽成天皇に仕えて鍼博士となり、沢庵宗彭と親交して、『陰虚本病』を出版した頃が、意斎流のピークだったのではないだろうか?1600年頃からわずか100年ほどで意斎(無分)の真意が伝わらなくなるのは、「盛者必衰の理」と言われるようにドラマチックな展開である。

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