墨荘堂ブログ

西洋医学全般のセカンドオピニオンとして立脚する「和方鍼灸」を追求する関墨荘堂鍼灸治療院のブログです。
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和法鍼灸 関 墨荘堂
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徳川家康が熱望した秘薬
 3月15日から国立科学博物館で開催されている「医は仁術」展はもう行かれましたか?伝統医学に関する展示は前半1/3ぐらいですが、古書はもちろん経穴人形や鍼も展示してあり、結構見応えがあります。また中はフラッシュを焚かなければ撮影自由なのがすばらしい!やはり図版だと実際の紙質とかそういったものが伝わり難いですから。

展示物の中に徳川ミュージアム所蔵の徳川斉昭所用の薬壺というものがあり、中には伝説の秘薬「紫雪」が入っています。


紫雪が入っている壷は、蓋を含め表面には和紙が隙間なく貼られている。貼られた紙片には壷を開封した年と医師の名前が書かれていて、紫雪が厳重に管理されていることを教えてくれます。

家康と紫雪の因縁は山崎光夫氏が『我に秘薬あり 家康の天下取りと正倉院の名薬「紫雪」』という小説を書かれていて、かつて『和漢薬』に連載していた時に師匠からすすめられて読んだのですが、これが薬の専門知識と歴史小説のバランスが見事で、超面白いのでぜひ読んでみて下さい。

簡単に導入部を紹介すると、この物語は関ヶ原の戦いで勝利したとは言え、まだ天下の趨勢が決した訳ではなかった慶長7年と慶長8年の2回、徳川家康は天皇の命令がなければ開けることができない東大寺の正倉院を、二度にわたって開けさせました。正倉院は源頼朝、足利義政、織田信長、豊臣秀吉などの権力者も開けさせていますが一回だけであり、その目的は香木を切り取ることが第一であったと言われています。
だが家康が正倉院開封の目的にしたのは、収蔵帳に書かれていた古来、万能の解毒剤とされてきた幻の妙薬「紫雪」ではなかったのか……。というところから始まります。

紫雪は医薬の研究者ならば一度は目にし、できれば口に含んでみたいと熱望する名薬であり、口中に投じれば淡雪のように融けることから、「雪」の字が当てられていました。

実は関ヶ原の戦いに勝利してもまだ危機的な状況は何度かあり、それを紙一重の差でかわして来たのは、偏に養生にきわめて関心が深く、みずから『太平恵民和剤局方』を使用して製剤するのが趣味だった家康が、多くのライバルよりも長生き出来たからに他なりません。

天下取りを目前に毒殺をなによりも恐れていたにちがいない家康。権力を磐石にし、子々孫々に末長く伝えてくための手段を探していた家康。徳川三百年の政権安定の要素に成り得た「紫雪」とはいったいどのようなクスリだったのか…。
そしてついには紫雪を家康に教えた吉田宗恂に、中国から輸入され、唯一、正倉院に所蔵されているだけで、奥医師ですら現物を見た者はいない幻の薬、紫雪を作るよう命じるが…。
と言った感じで展開して行きます。

紫雪はその後徳川御三家はもとより、加賀前田藩でも作られていましたが、高価な材料を使った「真正紫雪」とは異なる一般向けの紫雪も作られ金沢などでは購入出来たようです。しかし現在では入手不可能と思われます。どうしても味わってみたい方は北京同仁堂で作っているようなので、家康の気分を味わいたい人はそれを購入するしかないと思われます。



 
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