墨荘堂ブログ

西洋医学全般のセカンドオピニオンとして立脚する「和方鍼灸」を追求する関墨荘堂鍼灸治療院のブログです。
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和法鍼灸 関 墨荘堂
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『九鍼実技解説』に質問をいただきました
『ビジュアルでわかる九鍼実技解説』が発売されて、半年程経ちました。この間きちんと読んでおられる好学の士もいらっしゃるようで、いくつか質問も頂きましたので、この場をお借りしてお答え致します。

質問1
P.108 5行目
「核起りて赤き者は、必ず奔豚を発す。」の「核」とは何のことを指しているのでしょうか?

 これは火鍼で邪が残ってしまった場合の症状と対処法を述べた所で、核とは鍼をした跡が腫起していることを現しているそうです。火鍼の弊害はほとんど火邪が残っている所にさらに火を加えてしまった場合に起るようです。

質問2
P.108 16行目
「神鍼火とは…」の行に「太さ雞子ほど長さ五〜六寸の木鍼に削って…」 とありますが「雞子」とは何の事を言っているのでしょうか?

 雞は鶏の異体字で、まさに「卵大の太さに削った木の鍼」ということです。P.137の灸法に出てくるネパール式の棒灸の使い方と同じです。4章P.175の「温石」の解説に出てくる「雷火鍼」や「太乙神鍼」の古い形ということになるでしょうか。

質問3
P.116(12−1)打鍼について5行目
「中興の祖といわれる御薗意齋(松岡または山田)により…」この松岡さん、山田さん…どなたなのでしょう?

 これは東京の研究会ではお話しさせて頂いていますが、長野先生の織豊〜江戸初期にいた三人の意斎同一人物説に基づいているものです。
 根拠となる論証については『日本腹診の源流』の解説を読んで頂ければ良いのですが、結論だけ言うと意斎は三つの顔を使い分けていたということです。

 一人目の宮廷医としての御薗意斎、二人目は市井の鍼立としての松岡意斎、三人目は学医として山田意斎で、当時の下克上という世相を考えれば、名字も無かった下層階級から朝廷まで一気に上り詰めた人生は、実態の証明出来ない多田源氏の末裔というよりはるかにリアリティーがあると思いませんか?

コメント
from: fukuta   2012/10/10 12:36 PM
意齋さんって3つの顔を持つ男だったんですね〜!変幻自在のトリック・スターとまではいかないまでもサクセス・ストーリーに欠かせない要素が満載な人物だったんですね!勉強になります。
from: 墨荘堂主人   2012/10/10 8:48 PM
コメントありがとうございます。
現代でも成り上がりの成功者の過去を調べるのは大変なことですから、400年以上前のことではなおさらですね。

意斎先生についてはまだわからないことがいっぱいで、大徳寺の沢庵禅師を打鍼で治療して治した「悦公」と意斎先生との関係も良く解らないです。
少なくとも御薗夢分斎などという人物はいるはずがありません。お上から御薗という性を賜ったのは、意斎先生ですからね。
from: matsukuma   2012/10/11 4:54 PM
fukutaさんが勉強熱心なので、私も勉強になります。墨荘先生ご教授ありがとうございました!
from: 墨荘堂主人   2012/10/11 6:59 PM
励ましのお言葉、ありがとうございます。

十分見直しているはずなのに、いざ発行されると不具合が見つかるものです。質問も歓迎しますが、内容のまずい所も遠慮せず、ご指摘下さい。
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