墨荘堂ブログ

西洋医学全般のセカンドオピニオンとして立脚する「和方鍼灸」を追求する関墨荘堂鍼灸治療院のブログです。
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和法鍼灸 関 墨荘堂
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経絡治療のルーツ
経絡治療のモデルとなったのは、西村流の流れを組む八木下勝之助の臨床とされているが、八木下が座右の書としていた『鍼灸重宝記』や西村流の写本には難経六十九難、七十五難の解釈を「脈経」の六部定位に結びつけて証を決定する方法は書かれていない。ではいったいこの方法はどこから来たのか不思議ではないですか?

 経絡治療をやっている方で「岡部、本間先生が『難経』から再構成したのでは」と思った方には、ぜひ最後までお付き合い頂きたい。

 昭和23年に半田屋から出版された柳谷素霊の「八木下翁実験実証 脈診による鍼灸治療法」は興味深い。これは後に『柳谷素霊選集』に再録されている。
 
 柳谷素霊の文章の中に治療穴配合の方法として要穴表が出てくる。これがいわゆる経絡治療で使われる要穴表で、いかにも八木下翁がこれを運用していたように書かれてはいるが、「八木下翁実験実証 脈診による鍼灸治療法」に引用される城一格の見学記録(昭和11年頃)による八木下翁の治療風景と比べてみていただきたい。

 城の見学記録は次のようである。「まず患者の手の神門、太淵、列缺、支溝、尺沢かと思われる穴所に、一カ所を上または下に入念に按摩して鍼を下す。両手がすむと足の崑崙、陽輔、三陰交、三里手の場合と同じ形式で刺鍼する。大体はこの範囲で施術を終える。」

 八木下翁の配穴は『難経』69難でも他経補瀉法ではなく、自経補瀉法(同経の五行穴を補瀉する方法)のような感じがするがいかがであろうか。我々凡人は治療に用いる場合、自経補瀉法と他経補瀉法の判別をつけなければならいないが、どのような診断でつければ良いか経絡治療では示されているのだろうか?

 日本では『難経』69難や75難が重要視されるが、中国医家の関心は、64難の五輸穴を五行に配当する五門十変論にあるようだ。これは後の『子午流注鍼経』の基礎になっているからである。やはり「子母迎随法」はかなり弾力的に運用しなければ効果は上がらないのではないだろうか?

 また、経絡治療の代名詞のような他経補瀉法のルーツは何か?『日本鍼灸医学』では岡本一抱としている。たしかに『難経本義諺解』では「愚案(私が思うに)」となっているが、一抱は明の『内経』考証の内容を日本に広めた饗庭東庵門下の味岡三伯に師事していたので、饗庭や味岡の学説、さらには『難経集注』に載らない明代の『難経』解説書の検討も必要かもしれない。

 そう思って手元にあった熊宗立の『勿聴子俗解八十一難経』(和刻本は寛永10年刊)を確認した所、熊宗立はすでに肝虚の場合は腎を補うと解説していた。きっともう少し遡れるのではないだろうか?また、中国だけでなく経絡治療とよく似た朝鮮の舎巖道人鍼法との比較も重要だろう。

 このように経絡治療のルーツはつっこみ所が満載なのである。

この内容は少し前にツイートしていたものをまとめたものですが、ツイッターのサーバーが不安なので、リスク分散で加筆修正してみました。(8/28さらに追記)
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