墨荘堂ブログ

西洋医学全般のセカンドオピニオンとして立脚する「和方鍼灸」を追求する関墨荘堂鍼灸治療院のブログです。
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和法鍼灸 関 墨荘堂
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麻布蝦蟇ヶ池 大蟇の霊力
かつて備中成羽(岡山県西部)の領主、山崎家の屋敷内に蝦蟇ヶ池と呼ばれる池がありました。

この池は広さが約五百坪もあり、池畔には弁天堂もありました。また四面は深い樹林に囲まれ、いかなる日照りにも涸れたことがなかったそうです。

一説に大蟇が山崎家の家僕を二人も喰い殺したので当主が怒り、大蟇退治を決意したところ、その夜、枕元に老人が現れ「我は永年池に住むがまであるが、あの奉公人は蛙が生まれる度に殺してしまうので仕方なく子の仇をとったのである。もし願いを聞いてくれるならば以後このような事は二度としない。そして、火難が降りかかった時は、我の神通力をもって必ず屋敷を守るであろう。」と告げたそうです。

その後文政4年(1821)、麻布古川より始まった大火により、麻布一帯も猛火に包まれ、山崎家の屋敷にも火が廻ろうとした時、池から大きながまが現れて池の水を巻き上げ、屋敷一面に吹き付け、山崎家だけは難をのがれたそうです。

この噂が世間に広まり、山崎家は「上」と書かれた防火のお札(後には火傷の お札)を家従であった清水家に作らせ「上(じょう)の字様」と呼ぶと、当時の人々は争ってこれを求めたそうです。

その後清水家から、末広神社(現麻布十番稲荷)が授与するようになり、昭和50年から「かえる」の語音をとって「蛙の御守」として復活し、さらに平成20年よりほぼ昔の姿で復刻された、防火・火傷除けの「上の字御守」も授与されています。

現在の蝦蟇ヶ池はマンションの敷地内にあり、大部分が埋め立てられ、1/4ほどを残すのみになってしまいましたが、まだ残っています。もしかすると「上の字御守」が復活したのも、大蟇の霊力のおかげかも知れません。

参考文献『麻布区史』

コメント
from: おいら   2009/07/18 1:29 PM
耳袋的なこういう話は大好きっす
麻布の大蝦蟇とは知りませんでした
とういか、耳袋に載っていたりして

蝦蟇というと赤影と筑波山麓合唱団を思い起こさずにはいられません
from: 墨荘堂主人   2009/07/18 4:07 PM
おいらさま
どうもお札販売のために詳細な話が作られていたらしく、『耳袋』ではないようです。

本来のお札は、がま池の水を 八月の決まった日に汲み、それで「上」の字を書くのですが、明治時代には、池が他家 の所有となってしまった為に、近所の井戸水を使用 していたそうです。

そういえばナルトが口寄せするのも蝦蟇仙人でしたね。
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