墨荘堂ブログ

西洋医学全般のセカンドオピニオンとして立脚する「和方鍼灸」を追求する関墨荘堂鍼灸治療院のブログです。
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和法鍼灸 関 墨荘堂
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麻布一本松辺りにあった首塚
麻布の最大の霊的スポットといえば関ケ原の戦いの前哨戦である岐阜城攻めで、織田秀信家臣の首百二十を埋めたという首塚でしょう。一本松と首塚は直接関係はありません。

この首塚は塚自体が現存せず、正確な場所は分からないのですが、元スウェ−デン大使館あたりに江戸時代には芝増上寺の隠居所があり、その近辺と言う説と、麻布西町近辺という説があり、戦前まで家が建たなかったそうです。

現在は外人さんが多く住んでいるあたりで、外国人にとっては昔の首塚など関係ないのかもしれません。

武徳安民記には、「慶長五年八月二十八日岐阜より使節参着して、再び尺素を献じ、首級をささぐ。其の員数は福島左衛門大夫(正則)が手へ四百三十、池田三右衛門(輝政)が手へ四百九十、淺野左京大夫(幸長)が手へ三百八、山内対馬之守(一豊)が手へ二百五十、田中兵部之輔(吉政)が手へ二百三十、堀尾信濃守(忠氏)が手へ二百四十、この内宗徒の首百二十を大桶に入て到来す。神君即ち御実験あり、御感斜ならずして、浅布の原に首塚を築かせ、之を埋む。増上寺源誉玉藏院忠義に命じて教養とげらる」とあります。

『麻布区史』では当時は江戸の辺境だったからとしていますが、こんな不吉な物はもっと影響の無いところに埋めるのではないでしょうか?増上寺の上人も絡んでいるので、風水的な匂いを感じます。

またこの辺りにたたりの話とかはあまりないため、まだ結界として機能しているのかもしれませんが、抑えの一つだった増上寺の隠居所がなくなってしまったので、今後はどうなるのでしょう。

もっと詳しく知りたい方は麻布の歴史に関するコンテンツを探してみて下さい。マニアなサイトがあります。

参考文献
『港区史』『麻布区史』

コメント
from: おいら   2009/07/05 12:29 PM
個人的な感想なんですが、この界隈、先日道に迷ってウロウロとさまよいましたが、霊的な雰囲気は一切感じられず、清潔で上品な感じしかかんじませんでしたっす

異人さんも多いですが、決して海外の雰囲気を感じさせない近代的な日本という感じなんですよ

六本木方面に近づくほどわさわさした雰囲気になっていく気がしますっす

おいらは決して霊感を話しているのではなく、肌で感じる雰囲気ただの雰囲気っす

そういう意味で、この界隈の若い子供は、荒々しく無秩序な若者にはならないような気がしますっす
道をはずしても、もっと知的でおしゃれな道のはずし方をすることですよきっと

だいたい水が湧くところはパワースポッツが多いですが、有栖川宮公園のあたりがその雰囲気を備えているように感じますっす
ちと人工的な自然ではありますが

神社は鎮守の森と言いますが、お社の裏の立ち入り禁止の鬱蒼とした木々があるとすごく気が良くて、行くとすがすがしいもんですが、例の「火川神社」にもっと木があるといいなあと勝手に思ってますっす

ダラゲピ〜
from: 墨荘堂主人   2009/07/06 11:23 AM
ということはまだ結界が機能しているってことでしょうか?
この辺りでやってみたフィンガーテストの話はまた個人的に。

有栖川公園も昔は水が湧いていたようですが、現在は池の水を循環させているようです。
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