墨荘堂ブログ

西洋医学全般のセカンドオピニオンとして立脚する「和方鍼灸」を追求する関墨荘堂鍼灸治療院のブログです。
<< June 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
和法鍼灸 関 墨荘堂
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
PROFILE
無料ブログ作成サービス JUGEM
 
麻布本村町にあった幻の薬師
南麻布のイラン大使公邸の辺りに、かつて醫王山薬師院東福寺と呼ばれる寺がありました。(『江戸名所図会』に、七仏薬師、氷川明神、御薬園坂が描かれている)

ここの薬師堂には美稱名吉祥如来、寳月智厳院自在王如来、金色寳光妙行成就如来、旡憂最勝吉祥如来、法海雷音如来、法海惠遊戯神通如来、薬師瑠璃光如来と七体の本尊があったため、七仏薬師と呼ばれたそうです。

寺は天台宗で上野寛永寺の末寺であったそうですから、裏鬼門として機能していたのはこの寺だったかもしれません。

また一本松とも関係の深い六孫王源經基(清和源氏の祖)が守本尊としていたことから六孫王寺とも呼ばれていました。

これらの本尊薬師は伝教大師作と伝えられ、比叡山中堂と同木であったそうです。また徳川秀忠の室お江の方が家光を懐妊したとき、本尊薬師が夢に現れ無事安産することを伝えたという。出産後御礼として家光の名で本堂の改築と十二神将像が寄進されたそうです。

明治初年に七仏薬師が廃寺となってしまった時、本尊および神将像は西大崎の安養院に移されましたが、戦災で消失したそうです。本堂は隣の明称寺に売却され、明称寺の現本堂として残っています。

明称寺の拝殿天井は各間ごとに黒塗りの格天井となっていて、桂寿という画家によって極彩色に描かれています。(写真)天井絵が薬草だけというのも珍しいですが、起源植物の同定作業は行われていないようです。

本堂や本尊および神将像がそのまま残っていれば、名所となったと思われますが、なんとも残念なことです。

参考文献
『港区史』
『麻布区史』
「目で見る漢方史料館35」『漢方の臨床』37巻10号
コメント
コメントする