「儂は九鍼の第六鍼についている付喪神で眷属の中では雷鍼丸とよばれておるが、本名は圓利鍼という。最近の人間どもは何でも略すのが好きで、口も書くのが面倒くさくなり、員利鍼などと書きよる。名前だけならともかく、どう見たって仲間の円鍼に近いやつに儂の名前を付けおって、員利鍼は接触鍼などと言い出す始末。あきれてものが言えんとはまさにこの事じゃが、せめて円利鍼と書いてくれんかのう。」
最初から小説風の書き出しで何をトチ狂ったのかと思ったかもしれませんが、今回は圓利鍼のお話です。写真左の形状の圓利鍼と『霊枢』の記載のギャップには長年悩んでいたのですが、最近、雷鍼丸(笑)が現れて結論めいたものを教えてくれたので、皆さんにもお話しておこうと思います。
元々圓利鍼は『霊枢』の記述のごとく、「以て暴氣を取る」ことが目的の鍼で、葦原検校も『鍼道発秘』の自序の中で、「腰へ立つる鍼、手足へ響く其の形、稲妻の如く花火の如し。又久しく留めて進退する時は其の気の往来する事、炮玉の発するが如し。其の響き惣身へ通ず。」と述べているように鍼を刺入しなければ、発現しないような記述しかありません。
写真左の形状の圓利鍼はそもそも『古今医統大全』の九鍼図を元に、岡部素道と井上恵理が圓鍼として医道の日本社で作らせたものらしいです。そこで『古今医統大全』の図をよーくみてもらうとどうですか?
(↑クリックで大きくなります)
この図は他の鍼を見てもらえばわかるとおり、明らかに下が鍼先になるよう描かれています。ということは、どうも岡部・井上両先生はわざとか、知らなかったか今になってはわかりませんが、天地逆に考えていた事になります。
そうなると古典に記載された効果を出すための鍼の形状は、葦原検校が述べているように写真右の形状の圓利鍼という事になります。
九鍼研究会ではT先生に写真右の形状の鍼を作って頂き、臨床に使っていますが、これが実におもしろいんです。詳しくは『鍼灸ジャーナル』7号・8号のトークセッションをお読みください。
もちろん写真左の形状もありだと思いますが、これは岡部・井上両先生が最初に意図したように圓鍼であると思います。いったいいつから員利鍼に変わってしまったのでしょうか?
「なんじゃせっかく教えてやったのに結論は出んのか。もそっとまともなやつの夢枕に立たんと駄目なようじゃ。難儀なことじゃのう。」