麻布永坂 脚気石と呼ばれた要石
文政8年から天保元年の世相を記録した『道聴塗説』(大郷信斎著)という書物に「根石の霊異」という項があります。
それには「麻布五島家の屋敷前大通り(現在の外苑東通りを飯倉に向かい六本木五丁目の信号を過ぎた辺)に尺あまりの石が通りの真ん中に隆起しており、道路工事の邪魔だと取り除こうとしたところ、いくら掘っても根がわからず、仕方なく元のように埋めた。それがどうしたことか足の痛みに良いというので、人々は塩を手向けて祈り大変霊験があった。」とあります。この石は脚気石とも呼ばれていましたが、現在ではその痕跡もありません。(写真)
そもそも要石(かなめいし)とは、茨城県の鹿島神宮と千葉県の香取神宮にあり、地震を鎮めているとされていて、地上に見えている部分はほんの十数センチメートルですが、大部分が地中に埋まった霊石のことです。
地中深くで暴れて地震を起こす大鯰あるいは竜を押さえて、あるいは打ち殺したともいいます。そのためこれらの地域には大地震がないそうです。
『鹿男あをによし』にもありましたが、鹿島神宮の要石は大鯰の頭、香取神宮の要石は尾を押さえているといい、2つの要石は地中で繋がっているそうです。
古事記、日本書紀にそのような記述はないのですが、要石を打ち下ろし地震を鎮めたのは、武甕槌大神(通称鹿島様)だといわれています。鯰絵では、大鯰を踏みつける姿や、剣を振り下ろす姿がよく描かれており、神田神社の頭を石で抑えられた鯰の山車を思い出す方もいるでしょう。
また沼津市原一本松にある要石神社にも要石があり、境内には穴明き石(穴明石)が多数奉納されています。なんでも、耳の悪い人はここに祈願して穴あきの石を奉納すると、必ず治るともいわれているそうです。これも永坂の脚気石と似ています。要石と病気平癒の霊力、なんだか気になります。
参考文献
『港区史』
それには「麻布五島家の屋敷前大通り(現在の外苑東通りを飯倉に向かい六本木五丁目の信号を過ぎた辺)に尺あまりの石が通りの真ん中に隆起しており、道路工事の邪魔だと取り除こうとしたところ、いくら掘っても根がわからず、仕方なく元のように埋めた。それがどうしたことか足の痛みに良いというので、人々は塩を手向けて祈り大変霊験があった。」とあります。この石は脚気石とも呼ばれていましたが、現在ではその痕跡もありません。(写真)
そもそも要石(かなめいし)とは、茨城県の鹿島神宮と千葉県の香取神宮にあり、地震を鎮めているとされていて、地上に見えている部分はほんの十数センチメートルですが、大部分が地中に埋まった霊石のことです。
地中深くで暴れて地震を起こす大鯰あるいは竜を押さえて、あるいは打ち殺したともいいます。そのためこれらの地域には大地震がないそうです。
『鹿男あをによし』にもありましたが、鹿島神宮の要石は大鯰の頭、香取神宮の要石は尾を押さえているといい、2つの要石は地中で繋がっているそうです。
古事記、日本書紀にそのような記述はないのですが、要石を打ち下ろし地震を鎮めたのは、武甕槌大神(通称鹿島様)だといわれています。鯰絵では、大鯰を踏みつける姿や、剣を振り下ろす姿がよく描かれており、神田神社の頭を石で抑えられた鯰の山車を思い出す方もいるでしょう。
また沼津市原一本松にある要石神社にも要石があり、境内には穴明き石(穴明石)が多数奉納されています。なんでも、耳の悪い人はここに祈願して穴あきの石を奉納すると、必ず治るともいわれているそうです。これも永坂の脚気石と似ています。要石と病気平癒の霊力、なんだか気になります。
参考文献
『港区史』