腹診は日本漢方、日本鍼灸を世界に展開したいならば、その診断の中核になる方法であり、日本独自と言っても間違いではない。中国が腹診のキーワードで情報を出すようになるのは、研究されている通り、多紀元堅の『診病奇侅』が輸出・翻訳され、1916年に兪根初の『通俗傷寒論』が出て以降のことである。
では腹診と鍼灸の関係はどうなのだろうか?もちろん機運としては盛り上がってはいたが、オリエント出版社の『日本漢方腹診叢書』正・続が出版されたことが大きい。何故ならば写本の研究なしに腹診の研究は進まないからである。その辺りの事情を理解していないとこういう叢書は企画しにくい。で、この叢書の仕掛け人はというと谷田氏である。
もう一つこの叢書で導入されたのが、腹診の分類である。腹診における「難経系」「傷寒論系」「折衷系」という分類は1960年当時腹診研究の大家であった大塚敬節先生によるものである。ただこの分類は叢書の名前が示す通り、薬(=医師)の視点から見たものであり、鍼灸系の知識不足が目立つ。これではまずいということで反応されたのが篠原孝市先生で、先生の分類である「鍼灸系」「古方系」「非古方系」の方が現実的である。先生は同論考(医道の日本 849号)の中で鍼灸と腹診について一刀両断にしている(笑)
例えば「経絡治療では早い時期から、江戸期の鍼灸書や古方派の腹診書に基づく臨床応用が試みられたが、経絡診断という診察の目標が過去の腹診の応用を困難にした。江戸期の鍼灸や湯液の古典の中で経絡診断につながる腹診など皆無だったからである。」といった具合なのであり、岡部素道先生も自著『鍼灸経絡治療』に「腹診によって治療のための経絡・経穴を分配することはできない。」と述べている。
もうお分かりだろうか。そもそも日本独自であるが故に、中医学理論に翻訳出来ないのが腹診であり、それを元に施術をおこなうのが打鍼である。経絡・経穴という当たり前の中国理論を捨てなければ、日本鍼灸の本質は理解できない。
結局、前述の篠原先生の論考では「鍼灸系」の内の中世から近世初期の無分流、意斎流、多賀法印流の腹診と「非古方系」腹診の大元の実践理論は示されずに終わったが、それこそが我々が共同研究している無分翁の奥義、無分の真伝に他ならないのである。